環境商社

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社長日記

2017.02.07

50歳にして天命を知る

『論語』に

「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

(私は十五才で学問を志し、
三十才で学問の基礎ができて自立でき、
四十才になり迷うことがなくなった。
五十才には天から与えられた使命を知り、
六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、
七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)

とありますが

私もおかげさまで先月31日をもちまして50歳という大台にのりました

論語では「50歳で天命を知る」

はたして・・・

廃棄物業の事業主の長男(いわゆるゴミ屋の息子)として生まれ
幼いころから父親とに大阪市の環境事業局に通い

小学校に入るとトラック助手

同級生からは「ゴミやの息子」と言われ続け・・・

高学年になると

ビル清掃のトイレ掃除

中学校になると現場へ駆り出され、生ごみを収集したり

スコップを握らされて土砂を2トン車へ

高校生になると、一人で現場へ行きお客さんと値段交渉

大学生で免許を取ると、すぐ2トン車に乗せられその後4トンパッカー車

23歳には

エキスポ90、花と緑の博覧会で半年間組合の理事長のかばんもち

そのあと父と喧嘩して、30歳まで銀行員をしましたが・・

父が「もう死ぬから手伝え」とのことで
30歳で本格的に事業主の修行スタート(結局そこから13年生きてくれましたが・・)

43歳で父親が逝去したので
社長生活は7年目ということになります

これが私の廃棄物事業主としてのプロフィール

誕生日当日は、経営を今教えていただいている小山昇氏より
「誕生日は家族、社員に感謝してください」とハガキを頂き

朝は父の仏壇に手を合わせに実家へ、永く話をしていなかった母親に近況報告

夜は29年勤めていただいた社員さんの送別を

深夜に嫁と改めて食事へ

 

 


怒涛の50歳でした

社員さんからサプライズプレゼントと色紙

 

家内からは友人に作っていただいた似顔絵ケーキを手紙

 

仲間からはたくさんのお祝いメール

本当に幸せな一日でした

やはり
天命を改めて考えてると

この廃棄物処理業は
持続可能な社会を構築するための
なくてはならない業

その中で

「自分らしく生きる」

今までの常識でない廃棄物処理業になって
「環境業として業界の地位向上、発展に寄与」

「天命」は廃棄物処理でありますが

「自分ならしく」という味付けは
「人を大切にする」「仲間と共に」「仲間に感謝」
が前提になると改めて思いました

 

 

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この記事を書いたスタッフ

樋下 茂

樋下 茂 代表取締役

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